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福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)75号 判決 1980年12月23日

控訴人 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 古賀俊郎

被控訴人 乙山一郎

右訴訟代人理弁護士 吉田保徳

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

《省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を併せると、次のような事実が認められる。

1  控訴人甲野は昭和五一年一一月二九日頃、控訴人丙川から金額六〇万円の融通手形を振出してほしいと依頼され、支払地として長崎県上県郡上対馬町、支払場所として株式会社十八銀行比田勝支店との記載のある約束手形用紙に、支払期日、振出日、名宛人などいずれも空欄のまま、振出地、振出人欄にゴム印で長崎県上県郡上県町佐護、甲原運送こと甲野太郎と記載し、その名下に控訴人甲野の印鑑を押捺して、本件手形を振出した。その際、金額欄は控訴人甲野方のチェックライターが故障していたため、控訴人甲野において金額欄の右下部分にボールペンで小さく「600,000」と記載したうえ、控訴人丙川にチェックライターで同金額を補充するよう依頼して右手形を交付したものである。

2  控訴人丙川はその頃、有限会社丁山建工重機代表取締役丁原夏夫に対し右手形の割引あっせんを依頼し、金額欄はいずれ割引可能な金額を補充することにして、そのままこれを預けていたところ、同人は右手形の第一裏書欄に裏書をして適当な割引先を求めていたが、成功せず、一両日後にはこれを控訴人丙川に返還した。

3  次いで控訴人丙川は同年一二月一五日頃、被控訴人に金融を依頼し、同人から現金に代えて丁海冬夫名義の金額一〇〇万円の定期預金証書を借受けたが、その際、担保として本件手形をやはり金額欄は補充しないまま被控訴人に差入れた。被控訴人は右手形の金額欄右下部分のボールペンにより「600,000」の記載に当然気付いたものと思われるが、特に問題とされた形跡はない。控訴人丙川は右金額一〇〇万円の定期預金証書により他から融資を受けたが、昭和五二年一月二五日頃にはこれを返済することができたので、右定期預金証書を被控訴人に戻すとともに本件手形の返還を受けた。

4  その後、控訴人丙川は同年四月下旬頃、右手形の金額欄に、控訴人甲野が示した金額を超えてほしいままに、チェックライターを用いて「2,600,000」と記載するとともに、控訴人甲野が先にボールペンで手書きした「600,000」の「」と「600,000」の間に「2」を書き加え、また振出日を同年四月二二日、支払期日を同年七月二八日とそれぞれ補充し、さらに第一裏書欄の前記丁原夏夫の裏書を抹消したうえ、これに続く第二裏書欄に控訴人丙川が改めて拒絶証書作成を免除して裏書し、同年四月三〇日頃、被控訴人に同手形を交付した。(右手形の授受が割引のためになされたものか、単に見せ手形として貸与されたものかについては、後に判断する。)

5  被控訴人は右手形の第三裏書欄に、同人の内妻で、被控訴人が営む金融業乙月商事の名義人となっている乙月春子の裏書を、第四裏書欄には被控訴人自身が取立委任の裏書をし、更に名宛人として控訴人丙川の氏名を補充したうえ、株式会社十八銀行対馬支店を経由して、右手形を同年七月二八日の支払期日に支払場所に呈示したが、支払を受けることができなかった。

二  以上のような事実が認められるところ、控訴人甲野は右手形の金額欄右下部分のボールペンによる「600,000」の記載により、同金額の支払を約した手形を振出したもので、控訴人丙川がチェックライターで「2,600,000」と記載したのは、白地の不当補充ではなく、金額の変造に該当すると主張する。

しかしながら、本件手形は前記のように控訴人甲野がチェックライターの故障のため、控訴人丙川にその補充を依頼して、わざわざ金額欄を空白にして振出したものであり、右ボールペンによる金額は金額欄の右下部分に小さく書き加えられているにすぎない。なるほど手形法は「一定ノ金額」を文字または数字で表示することを求めるのみで、記載方法に何らの制限も加えていないが、本件手形のように金融機関を支払場所とする統一手形用紙については、金額はアラビア数字か漢文字で記載し、アラビア数字で記入するときはチェックライターを用いることとされており、かかる一般の取扱いからすれば、右手形の記載を客観的に見ても、金額欄右下部分のボールペンによる記載が振出人たる控訴人甲野の手形金額記載の意思の体現であるとは認められず、所詮、金額欄の空白部分が将来手形取得者によって補充されることを予定して、そのための覚書程度の意味を持つにすぎないものと認めるべきである。

してみると、本件手形は控訴人阿部により金額欄を白地として振出されたものと見るべきであるから、控訴人丙川のチェックライターによる金額欄の記入は、ボールペンによる金額の記載と相異していても、手形金額の変造とはならず、白地補充権の乱用(虚偽記入)をもって論ずべきものといわねばならない。

三  そこで、同年四月三〇日頃、控訴人丙川と被控訴人との間に本件手形の授受がなされた経緯を検討するに、被控訴人は、控訴人丙川から手形の割引を頼まれ、事実対価を支払って右手形を取得したと主張し、《証拠省略》には、右割引に際して、手形金額二六〇万円から月五分の割合で二か月分の利息金二六万円を差引いた残額を交付した旨、その主張に副う供述が認められるが、一方、控訴人らは、控訴人丙川が被控訴人から見せ手形として使用するので貸してほしいと頼まれ、単に貸与したにすぎないものであり、むしろ被控訴人の依頼によって白地の金額欄に金二六〇万円と補充したかのように主張し、《証拠省略》には、やはりこの主張に副う供述が認められ、これらのみではいずれが事実とも、にわかに決しがたいものがある。

ところで、右に掲げた各証拠に《証拠省略》を併せると、次のような事実が認められる。

1  被控訴人は昭和五〇年七月頃、内妻乙月春子の名義で長崎県から金融業の許可を受け、実際には昭和五一年七月頃から乙月商事として仕事を始めたものであるが、手形割引を主として行っており、その取引状況は備付の手形受払帳に一応記帳され、本件手形については、控訴人丙川がさきにこれを担保として金額一〇〇万円の定期預金証書を借用した昭和五一年一二月一五日の欄に、金額一〇〇万円として記載があるほか、金額二六〇万円としては、昭和五二年四月三〇日を最初に、同年五月二七日、六月二日の各欄、その他四か所に記載がある。

2  しかしながら、右手形受払帳は、その右端の備考欄に、被控訴人が鉛筆で「決済・書替・延期・取立」などと記入していて、手形の処理についてはこれを窺い知ることができるが、手形の受入れについては、その摘要欄などに「割引・担保・預り・差替」といった特段の記載がなく、同一の手形の記帳があれば、前後の関係から多少の推測は可能にしても、その受入れの事由を明確にすることができない。しかも、被控訴人は金融を業としながら右手形受払帳のほかには、元帳・金銭出納帳はもとより、これといった補助簿を備えておらず、他の帳簿の記載によって右受入れ事由の不明を補うこともできない。

3  もっとも、被控訴人は株式会社十八銀行対馬支店に被控訴人及び内妻乙月春子名義でそれぞれ普通預金口座を持ち、金銭の出入れについては金額の大小にかかわらず、その都度、右預金口座を利用しており、右各預金通帳は一面被控訴人の金銭出納帳に代る役割を果していたことが窺われる。

しかして、被控訴人は、控訴人丙川が控訴人甲野振出の本件手形及び訴外丁海秋夫振出の三通の手形につき、有価証券虚偽記入、同変造などの各罪により刑事訴追を受けた際、被控訴人もその共犯の疑いで捜査官の取調べを受けることになったが、右取調べに際し、被控訴人は前記手形受払帳と銀行預金通帳とを対照することにより、昭和五二年四月から同年一二月までの手形取引の殆どすべてについて、預金の出入れを説明することができた。

ただ、右取引の殆どは金額一〇〇万円以下のものであったのに、わずかに、控訴人丙川がいずれも手形金額の虚偽記入もしくは変造をしたとされるもので、被控訴人との間に割引の事実が争われている金額二六〇万円の本件手形と丁海秋夫振出で金額一八五万円の手形(被控訴人はこの金額一八五万円の手形について、最初同年六月二日頃割引き、同年七月二日頃一旦決済されたが、同年一二月二八日頃再度割引いたという。)の、最も金額の多い二通の手形のみが、銀行預金通帳にこれに対応する金銭の出入れがないことが認められる。

この点について、被控訴人は捜査官に対し、手持ちの資金で割引いたと述べるのみで、常時少額の入金でも銀行預金口座に振込んでいた被控訴人が、右のように多額の現金を何故手許に所持していたかについては、遂に明らかにし得なかった。

4  しかも、被控訴人が本件手形を割引いたとされる同年四月三〇日頃には、控訴人丙川の依頼によって割引き未決済の手形三通があり、手形金合計額は二二五万円にも達していたのに、何らの決済もされておらず、また控訴人甲野振出の他の手形もそれまで何回か割引いてはいたが、被控訴人が取扱った手形のうちでも最も多額の手形を割引くというのに、特にその信用状態などを調査した形跡もない。

5  そして、控訴人丙川は本件手形を含む四通の手形の関係で刑事事件として公訴を提起され、有罪の判決を受け、一方、被控訴人は捜査の結果不起訴とされたが、控訴人丙川は右四通の手形のうち、他の二通の関係は有価証券変造、同行使、詐欺罪をもって有罪とされたところ、前示割引が争われている本件手形ほか一通については、それぞれ有価証券虚偽記入ないし同変造罪をもって有罪とされたにとどまり、同行使、詐欺罪を問われることはなかった。

以上のような事実が認められ、これらを総合すると、むしろ、手形金額二六〇万円から利息金二六万円を差引いた金二三四万円を実際に支払って本件手形を割引いたとの被控訴人の主張事実は、はなはだ疑わしく、控訴人丙川が述べるように、被控訴人が控訴人丙川の本件手形金額の虚偽記入につき、これを共謀したとか、その事実を十分に知って手形を受取ったとかの点まではともかく、他に特段の証拠もない本件において、控訴人丙川と被控訴人との間の本件手形の授受には、何ら対価の支払がなかったものと認めざるを得ない。

四  してみると、被控訴人の本件手形の取得は対価関係を欠くものであり、控訴人らはいずれもその手形金の支払を拒み得ることが明らかである。

よって、被控訴人の控訴人らに対する請求は、いずれもこれを失当として棄却すべきところ、原判決は結論を異にしているので、これを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢頭直哉 裁判官 権藤義臣 小長光馨一)

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